慶應SFC両学部総代が語る「下村先生の使い方」Part2/課外活動編

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◆始まりは、首相官邸から

下村:教授と学生の接点は、教室だけじゃないよね。今度は、授業以外の課外活動について。まず相川は、なんで「政治美人」というWebサイトを始めようと思ったの?

相川美菜子[環境情報学部・2015年度卒業生総代]:きっかけは、1年生の時の「首相官邸広報“伝わる化”プロジェクト」です。官邸ホームページをもっと国民に伝わり易いものに改善するために、学生の目線で提案をしていくプロジェクトで、SFC生数人のグループで定期的に首相官邸にお邪魔してました。私、髪の毛、まっ茶色で。

下村:そうだった!(笑) あれは、“インターネットの父”村井純教授(慶応大・環境情報学部長)と、当時内閣審議官だった僕が相談して生まれた取り組みね。あの頃の官邸は、本当にオープンだったな。別のインタビュー記事で、相川はこのプロジェクトが「その後の大学生活を大きく変えることになったきっかけ」だったと言ってるけど、そもそも何故、参加したの?

相川:SFCに入学して、これから何をしようっていう時期で、そんな迷える子羊だった私が、そういうプロジェクトがありますっていう提案を見て、「意識高いなぁ」って…

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下村:その時点では、首相官邸とか、そういう政治には興味なかったんだ。

相川:人並みに政治とかよく分からないし、普通のいわゆる女子大生で、自分には最初そんなプロジェクト出来ないと思って、スルーしてたんですよ。でも冷静に考えて、首相官邸のホームページを自分達の意見で変えられるチャンスなんて一生無いし、自分はイラストとかデザインとかちょっとはできる強みがあるし、その強みを押して関われれば良いかと思って、応募したのがきっかけです。

◆政権交代で「政治美人」へ

下村:そこからずっと続いて、今に至るっていう…。

相川:こんなに下村先生と長くお付き合い頂けるとは、思ってませんでした。そもそも最初は、SFCに先生が来られると思ってなかったんで。

下村:ア~そうだよね、慶応大学に全く接点がない官邸勤務時代だったもんな。特別招聘教授のお誘いを頂いたのは、それより後の話で。

相川:殆ど、「学外のプロジェクトで関わる人」みたいな感じでした。
でもこの経験は、すごい勉強になったんですよ。本当に細かい所から、「全ての国民に平等に発信しなきゃいけない」とか、「ちょっとした解釈の仕方によって意味変わっちゃうよね」みたいな、言葉の気遣いとか。でも、勉強になって良いなと思っていた反面、なかなかそれがアウトプットとして出せないというもどかしさ。

下村:そうだったねぇ。君らの提案のレベルもまだまだだったし、発想を転換させるには官僚側の壁もやっぱり厚かったし。で、やっと1つアイデアが間接的に採用されて、これからだ!という頃に……

相川:ちょうど2012年12月の政権交代があって、このプロジェクトが終わってしまいました。残念でしたけど、私は結構それをプラスにとらえて、そこで学んだこと、《伝えることの重要性》とか《伝え方》を活かそう、せっかく今インターネットがこれだけ発達して誰でも自由に発信できる時代になったんだからこそ、やっぱりそのツールを活かそう、と。
で、自分と同じように政治に関心のない若者にも、もっと政治を伝えるきっかけになるものを作ればいいんじゃないかなぁと、ふわっと思って、それを仲間と形にしたのが「政治美人」でした。

◆「人生終わった」と思った時

下村:でも実際に外に向かって発信したら、ネガティブなリアクションも随分あったじゃない? 政治に関心を持つという《姿勢》を持つ人を男女問わず「政治美人」と名付けたけど、それが《見た目》のことだと誤解されて、すごく叩かれたりとか…。

相川:それを乗り越えられたのは、下村先生の存在でした。先生の励ましの言葉で、「相川のやっている事は間違っていない。ちょっと伝え方にミスがあったりとか、伝えきれていないところがあっただけで、それを改善して、見てくれている人とのコミニケーションをちゃんとうまく取れば、君がやりたい思いはきちんと伝わるから、こんなことで辞めるな。辞める方が馬鹿馬鹿しい」ということを言ってもらい、「僕なんか、東スポの1面トップ大見出しで『海外逃亡』って書かれたんだ。こんなの、かわいいもんじゃないか。ちっちゃい、ちっちゃい!」みたいな感じでサラッと言われたんで、「あ~、まだ大丈夫か」みたいな。

下村:僕は、しょっちゅう世間から叩かれるから。松本サリン事件の犯人捜しで主流と異なる見方を報じた時とか、鳥インフルエンザを出した養鶏業者を吊し上げた報道陣側の姿勢を逆批判した時とか、エイプリルフールのニュースで真顔で冗談を言った時とか。『海外逃亡』は、ずっと前から日取りが決まってたニューヨーク支局への転勤が、ちょうどTBSの不祥事発覚直後のタイミングに重なっちゃった時。

相川:私、あの叩かれた時は、ほんと、「人生終わった」って思ってたんで…。

下村:え、そこまで思い詰めてたの!

相川:だって、「こんなことネットに書かれたら友達いなくなる」とか、「就活できなくなるんじゃないか」とか思ったんです。けど、「そっか、新聞の1面で叩かれても慶応の教授とかになれるのか」って思ったら、すごく肩の荷が降りたっていうか、「まだ大丈夫だ、私。何とか行けるわ」って思えて。(笑)
やめずに続けた結果、その後は軌道修正ができたんで、良かったです、本当に。ありがとうございました。

下村:いえいえ(笑)。あの大きなマイナスを経験して、差し引きは?

相川:差し引き、プラスでした! ホントになんか、あの辛い体験があったからこそ、その後の発信における細かな注意みたいなのを、前よりもすごいちゃんとするようになりましたし。

下村:あ~、それ聞いて安心したわ~。

◆いじめ問題から「子ども六法」

山崎聡一郎[総合政策学部・2015年度卒業生総代]:僕は子どもの頃いじめられた経験から、2年生の時から、《法教育によるいじめ問題解決》というテーマにずっと取り組んでたんですね。日常の中で基本的知識として知っといた方がいい条文だけピックアップして、それを専門的な日本語から小学校高学年でも読める日本語に翻訳して、「子ども六法」という冊子にまとめました。作るにあたっては、基礎知識も法律への興味も無い人たちを含めて教えようっていうコンセプトなので、やっぱり《伝え方》って重要になってくるんですよね。どうやったら読みやすくなるのか、どうやったら誤解なく伝わるのか。そういうことで色々考えてると―――結局、「マスコミュニケーション」の授業内容に結構立ち返って考える事が多かったですね。

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下村:自分が取り組んでいる活動に、僕の授業を後から当てはめたってことね。

山崎:その辺が《下村先生の使い方》で、連絡先を個人的にいただいて、授業期間が終わってからも近況報告とかをして、そういう事を通じて、先生から応援してもらえるようになったりとか。やっぱり下村先生ってものすごく人脈が広いので、その中に「いじめ」や「教育」に関する事をやってる人たちもいるので、そういう所と繋がりやすくなったっていうのは、すごくいいところで。

下村:早く、小森さん(いじめ問題解決を目指すNPO「ジェントルハートプロジェクト」理事)と会わなきゃね!

山崎:そうですね。そして去年の11月に、これを副教材としてもっと有効に活用するための方法として、ゲームを完成させたんですね。「子ども六法すごろく」という。

相川: へえ~!

◆中学校に一緒に出向いて

山崎:具体的な教材の形になったので実践しやすいだろうと思って、いろんな大学などに送りつけたりとかしてるんですけど(笑)、その中で下村先生が、いつもメディアリテラシーの訪問授業をしている中学校の1つを紹介してくださると言うので、1セットお渡しして。で、その学校で実際に遊んでもらって、こないだは下村先生と一緒にその学校に行って、実際に生徒たちと意見交換をしたりとか。

下村:都内の、清明学園中学校ね。相川たちが太陽光発電の人生ゲーム作った時(Part1参照)も、そういうこと、やればよかったな!

相川:確かに…

山崎:ものすごく収穫ありましたよ、あれは。

下村:あの清明学園がうまくいった理由は、僕もいろんな小中高校で授業やらせてもらってるけど、 そうすると先生方との出会いもその数だけあるわけでしょう。で、この学校の先生が、この「すごろく」とすごく相性が良さそうな気がしたんだよね。まぁ、当たりでしたね。先生自身が、乗ってたもんね。

山崎:なので、下村先生の授業でちゃんとしっかりやってると、授業外でこういう個人的バックアップまでしてもらえるっていう。普通は教授と学生って、もう授業終わったら何の関わりもなくって感じですけど。

下村:だって、「先生と生徒」って言ったら本当に教室の中の狭いフレームの話だけになっちゃうけど、この社会に同時代に生きてる者同士だもんね、みんな。接点の結び方は、いくらでもあるよね。

Part3【人物編】に続く
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