今日(8/21)まで2泊3日、珍しい合宿があった。各地に散り散りになっている福島県富岡町の子ども達が、大人達から3・11以前の町の姿をじっくり聞き書きする、《おせっぺとみおか》というプロジェクト。私の役割は、インタビューの仕方の指導だ。
30年前と全く同じ姿・同じ顔ぶれのままの町は、日本中に1つもない。人に生と死があるように、町にも必ず、発展もあれば喪失もある。納得ずくの選択も、理不尽な強要もある。いつの間にかの入れ替えも、破壊的な激変もある。
そんな移ろいの中で消え去った、人・物・営み・風景・空気。どんなに惜しんでも、それらの記憶はいつか薄れていく。しかし、それを文字に留めれば、《記憶》は《記録》に替えられる。
単に記録のためだけではない。《今》を生きる私たちにとっても、上の世代からじっくりと話を聞き取って(或いは下の世代の質問にじっくりと答えて)文字に刻みつけてゆく作業は、貴重だ。我が町が、地層のように蓄積された“時の厚み”の上に位置しているのだと気づくこと。その気づきは、きっと我が町への愛着や誇りを呼び覚ます。
―――以上は、日本中のどの共同体にも当てはまる話だ。しかし、ここ富岡では、変化はあまりにも暴力的に起こった。2011年3月、何の説明もなく、すべては唐突に奪われ、コミュニティーは全国散り散りにされてしまった。
それゆえに《おせっぺとみおか》は、他の聞き書き活動より格段に鮮烈なミッションを担っている。《何が失われたのか》を、しっかりと刻みつけること。その上で、何を《遺す》かではなく、何を《取り戻し》何を《やり直す》かを決めてゆくこと。だからと言って、気負ってはいない。語り手の大人達も、聞き手の子ども達も、過度な目的意識に縛られず、ただありのままの“地元どうし”、率直に語り、耳を傾けている。
「中学校のジャージを扱ってたよ」という衣料店の御主人に、聞き手の女の子の声が弾む。「あ、私、あの日それ履いたまま逃げたから、今も避難先でそのジャージ持ってます!」 プロのヨソ者ジャーナリストには、決してできないやり取りだ。
まだ聴く側にも語る側にも、かなり戸惑いや遠慮や技術不足があった昨年の初回に比べ、今年は随分、双方が“進化”した。これから年々、聞き書き対象者が多人数になって行けば行くほど、かつての富岡という共同体の姿が、立体的に浮かび上がっていくだろう。それを土台にして、この「おせっぺ」に参加する子ども達が、自ら《未来》の富岡の姿を浮かび上がらせていってくれることを、願ってやまない。
「長い歴史年表の最後の一瞬に立っている私」は、「長い未来設計図の最初の一瞬に立っている私」でもあるのだ。この町の未来は、私たちが作っていくのだ。それこそが、《おせっぺとみおか》プロジェクトがもたらす最大の自覚であると、私は思う。
町の総論ではなく、町民ひとりひとりの各論を描き出すこと。データの数字ではなく、人間の感情、表情を伝えること。これが導火線になって、おせっぺ双葉、おせっぺ浜通り、おせっぺ福島、さらには全国の“おせっぺわが街”に広がっていくことを期待しつつ、これからも伴走していきたい。 [15.08.21 記]